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現役、OB会の各種情報をお知らせします。

応援メッセージ(過去分)

2010/ 7/ 2 大森 範明(66期=昭45卒)
 「体調を整え、全力を出し切って闘ってほしい」

 昭和45年卒業(66期)の大森と申します。卒業後は故郷(大山町)を離れ、現在、さいたま市に在住しています。最近の米子東高校野球部の皆さんの試合も見ていないのに「応援メッセージ」を書くのは多少気が引けますが、私たちが練習に励んでいた40年以上前のことを思い出しながら書くことにします。
 夏の大会は、3年生にとってはまさに最後の大会であり、この試合に負けることは、クラブ活動が終わることを同時に意味します。それだけに、最後の大会に向けて悲壮感のようなものが漂っていました。今の生徒諸君も同様でしょうか。私が3年生のときのチームは、2年生主体のチームで3年生のレギュラーは私一人という状態でした。したがって監督も部長も、内心では今年よりも来年に期待を掛けていたとは思いますが、「今年勝てなければ、来年だって勝てないぞ」と2年生には発破を掛けていました(結果的には県予選でベスト2に残り東中国大会に出場したものの甲子園出場は果たせず、新チームが秋の中国大会で快勝しセンバツ出場を果たす)。また、「同じ高校生なのだから」「練習では自分が一番へただと思って努力し、試合では、自分が一番うまいと思って自信を持ってプレーしろ」との岡本前監督や貫名監督の言葉に励まされ、とにかく、どこにも負けない猛練習をしてきたのだから悔いの残らないよう全力を出し切りたいとは強く思っていました。しかしながら夏の大会に向かって暑さは次第に厳しくなり、体調を維持していくのも容易ではありませんでした。よく「勝ちたいという思いの強い方が最後には勝つ」といわれますが、そうした強い思い、気力も体力がなければ出てくるものではありません。現在は昔と違って練習中に適宜水分補給をしたりして体調管理には充分気をつけているとは思いますが、特に夏の大会は炎天下での試合だけに体力勝負という面があることは否定できません。くれぐれも体調管理には万全を期して「気力」を充実させて全力を出し切り、悔いのない試合を展開されることを期待してやみません。


2010/ 6/18 稲田 昌三(51期=昭30卒)
 もうすぐ74歳の誕生日を迎えると言うのにいまだに元気に(株)新通の専務として頑張っています。
 あれから早いものでもう半世紀以上の時が流れたのですね! 私たちが甲子園に出場したのは第36回大会でした。1回戦は滝川(兵庫)に2-1で勝ち、2回戦は早実(東京)に1-3で惜敗しましたが、その年のことを簡潔に、次の世代に語り継ぐためにもお話しておきましょうか。
 まず東中国大会ですが、その年は岡山県開催でしたので岡山県4校、鳥取県、島根県が各2校の計8校で甲子園出場を争い戦いました。 わが米子東にはエース義原(2年)そして長島(1年)がいますから負けるなんてことはありません。県大会は勿論、東中国大会も順調に勝ち進み、決勝戦の相手は関西高校(岡山)でした。延長10回裏、私が2塁ランナーで打者大原(2年)がレフト線ギリギリにヒットを打ちました。塁審はフェア。私は走りながら石灰があがるのを見ながらホームイン。球審はゲームセットを宣言。
 ところが、それからが大変でした。相手チームの浅越主将からボールの落下地点はファールグランドであるという涙の猛抗議を数分間したためにスタンドのファン何千人かがグランドになだれ込んできました。私たちは急いで球場事務所に避難し、十重二十重に群衆に取り囲まれている中をものすごい罵声を浴びながら機動隊に護られて宿泊旅館までやっと帰れましたが、関西高校側としては高校野球の歴史に汚点を残した行為であったと言えるでしょう。そんなことで肝心の優勝旗は翌日、倉敷駅のプラットホームで授与され、そして米子に凱旋しトラックの荷台に乗って多くの皆様の祝福を受けたという次第です。
 それから甲子園での話ですが、2回戦目の早実戦で2回裏の攻撃のとき左打者の義原が左ひじにまともにデッドボールを受けてしまいました。みるみるうちに別人の腕のように腫れ上がり、いくら鉄人義原でも次回の投球は無理だと皆が思い、大橋監督も長島に投げさせようとしましたが、「大丈夫です。投げられます」と大粒の涙に押し切られて続投させ、その回3点も献上してしまいました。それでも義原はこの試合で11奪三振、1回戦の滝川からは延長11回とはいえ17奪三振と好投し、その後、読売ジャイアンツで活躍ましたが、いまだに「あのときデッドボールを受けていなかったら、あるいは長島が投げていたら」そんな思いを50数年も引きずっているのです。
 さて、肝心の応援メッセージですが、一言で言えば『頑張れガンバレ』と言うんでしょうが、頑張るために、勝って甲子園にでるためにはどうすればよいのか? 米子東の場合は小学校や中学校から身体をつくるわけには行かないでしょうから、とにかく一年生の間に、二年生になるまでに、その一年間でしっかりとした身体をつくること。一年もあればパワフルな立派な身体に仕上がります。それを先ず乗り越えてください。一年生は苦しいけれど誰のためでもない、自分のために身体をつくって下さい。二年生、三年生は出来上がった身体を磨いて下さい。さらに進化させてください。頭を使ってください。
 甲子園はそんなに遠いところではありません。 アルプススタンドで待っています。


2010/ 2/12 三ツ井 俊夫(92期=平8卒)
 第92期、三ツ井俊夫です。現在東京で重工メーカーに勤務し、日本、米国、欧州、東南アジア向けの火力発電所建設プロジェクトに携わっています。
 さて、米東での高校野球を終え早くも15年が経とうとしていますが、自分にとって米東での高校野球とは何だったのか?ということを今でもよく考えます。人間形成の場。目標達成の為には人並み以上の努力がいかに重要かを学んだ場。メンタルタフネス形成の場。喜び、悲しみを共に味わった生涯の友人を得た場。社会で仕事をするうえで欠かせない要素である健康な体を作った場。支えてくれる周りの人達に対して感謝の気持ちを持つことを教えてもらった場。数え上げたらきりがない程の貴重な経験をさせて頂きました。
 仕事柄、取引先との交渉を行うことが多いのですが、その交渉の始まりの世間話として野球の話をすることがよくあります。とある取引先とは、「米子東で野球をしていました」、「あそこは進学校にも関わらず甲子園にもよく出て立派な学校ですね」という会話から一気に相手の心を掴み、難しい交渉をうまく纏めることができたということもありました。
 また、現在会社の野球チーム(草野球に毛の生えた程度ですが・・・)で選手兼監督をしていますが、米東で学んだランナーを一つでも先の塁に進め1点を重ね、投手中心で守り抜く野球を継承した結果、一定の成績を残すことができました。
 これら一貫して言えることは、米東での高校野球がその後の自分にとっての人生の基礎になっているということです。
 現在、現役生の皆さんは地道で辛い冬場の練習を重ねていることと思います。これから夏の県大会までの間、目先の一日、目先の練習メニューをこなすことで精一杯となり、時には色々な悩みや不安が襲ってくることもあるかもしれませんが、その先にはかけがえのない何かが必ずあります。その何かを目指しぜひ頑張ってください。そして、その一つが甲子園出場という結果であって欲しいと心より思います。
 次回甲子園出場時には必ず応援に行きます。今年こそは、悲願の甲子園出場を果たすことを心より願っています。


2009/ 7/12 長島 康夫(53期=昭32卒)
 高校野球ハイライトの季節がきました。
 選手のみなさん一人一人がこの冬どんなトレーニングをしてきたか、その成果が表れる季節でもあります。
 野球では“勝負にこだわらず戦え”とよく言われますが、勝負ごとは勝たなければ、その本当の味を知ることができません。
 練習で目標にして鍛えてきたことを実践してください。自分が努力してきたことを実行に移せる絶好の機会ですから。結果を恐れず、成功するまであきらめないで何度でも実行することです。こうしたひたむきな姿勢を、勝負の神様は決して見逃すはずはないのです。
 監督から多くのことを学んできたでしょう。私からは(1)「ランナーの後ろに打て」(2)「一つでも先の塁を盗め」(3)「相手の守備位置を確認して攻撃しろ」(4)「最後の打者になるな」です。
 今はただ前に向かって進んで欲しい。全力で進んで欲しいのです。一戦ごとに最善を尽くせば必ず納得のいく結果が得られるでしょう。
 最大のハイライト“甲子園出場”は君達一人一人の生涯の宝となることうけあいます。
 “ガンバレ米子東高校野球部選手の皆さん!!”


2009/ 6/29 田中 義則(69期=昭48卒)
 夏の甲子園を目指して、過ごした日々。あの頃から、早40年近くが経とうとしています。原稿を書きながら、何も考えず、ひたすら甲子園に行くことだけを考えていればいい時期を過ごせたことを、改めて幸せに感じています。今、現役の選手達も心一つにして、ひたすら目標に向かって頑張っていることでしょう。
 私の時には、東中国大会で優勝しないといけない時代でしたが、残念ながら県の代表決定戦で、鳥取西にさよなら負けをし、現役生活を終えました。その時、涙が出て止まりませんでした。なぜ泣いたのだろう、社会人になった今でも、よく思い出します。そして、いつも結論は、自分の中に「悔いが残っているから、全力をいつも出していなかったから、さぼったから」になります。
 仕事がつらい時、悔いが残らない日々を過ごしているのかと、自問自答しながら立ち向かっている自分自身がいますが、悔いが残らなかったことは、たまにしかありません。
 米東野球部の良さ、それは選手一人一人が、目標に向かってつながり、それを周りが支えていく。3年の夏に向かって、一体感が出せるそんなチームになっていくから、強いし、そうなれば、自ずと道は拓かれていくことでしょう。こんな経験をさせてくれた、米東野球部は、最高の居場所だったし、それが伝統という言葉で受け継がれていっているのだと感じています。いつもいつも、最良の結果が出るわけではなく、むしろ逆の結果になることの方が多いのですが、米東野球部での経験はいつまでも心に残り続け、学校を卒業し、自立し、生きていく時の力になってくれることでしょう。
 現役の選手諸君、最後に勝てるのは、如何に自分だけの力でない力を感じながら戦うことができるかです。甲子園のセンターポールに、校旗がたなびき、校歌が聴けることを楽しみにしています。悔いのない、夏になることを祈っています。


2009/ 6/23 井川 真志(81期=昭60卒)
 3年生にとっては高校野球最後の熱い夏。2年生、1年生と一緒に同じ目標に向かって毎日大好きな野球に取組んでいる姿を想像すると非常に羨ましく思います。
 高校を卒業して25年になりますが、あの時もっとこうしておけばよかった、こんな取り組みをすればもっと上手くなったのではといった悔いが一杯あるせいか、たまに「もう一度高校生に戻って野球をやりたい」という気持ちになります。
 3年生はできるだけ悔いを残さないように、残り少ない時間で楽しんで、積極的に野球に取組んで欲しいと思っています。2年生、1年生はそういう3年生の背中を見て米東野球部の伝統を引き継いでいくので責任は重大ですよ(笑
 私は2年生の時に甲子園を経験できました。(背番号はありません)甲子園に出場すると野球部はもちろん、学校全体の一体感を感じることができるので人生において非常によい経験になります。ですが、甲子園を目指して仲間と野球を続けたことの方がもっと人生の糧になっています。【米東魂】
 3年生は残り少なくなりましたが、2年生と1年生も井畑監督のもと、よい経験を積んで益々成長してください。夏の大会は応援に行きたいと思っています。頑張ってください!


2009/ 6/20 阿川 稔(70期=昭49卒)
 社会人になると同時に東京に出てきてすでに30年が過ぎました。会社は航空会社(羽田空港)に勤めています。子供は息子2人とも甲子園を目指して高校野球(神奈川県)をやっていましたが残念ながらBEST4が最高で甲子園への切符は獲得することは出来ませんでした。母校の情報はこのホームページや東京OB会(東京勝陵クラブ)で得ています。
 いよいよ選手権大会予選も近くなってきましたね、今年のチームは県代表として山陰大会に出場するなどかなり有望だと聞いています。私は息子2人の高校野球を経験したことで感じたのが、最後は気持ちの強さが甲子園に連れて行ってくれるということです。神奈川県でもBEST8に入る高校は殆ど力が同じなのですが、「あんな苦しい練習を乗り越えたんだから負けるはずが無い」という思いと「甲子園に行きたい」と言う思いの強さがここぞと言う時に力を発揮させているように強く感じました。
 自分たちの積み上げてきた力量、技量に自信を持って「思いっきり」「力いっぱい」プレーすることで結果はついてくると確信します。これからは怪我をしないよう気をつけ、自分たちのやってきたことを信じて、悔いの残らないよう頑張ってくだ さい。家族で応援に行きますので、是非是非、甲子園に連れて行ってください。


2009/ 5/ 4 中村 栄治(93期=平9卒)
 平成9年卒業の中村と申します。現在は東京で弁護士をしています。仕事で悩むことや迷うこともありますが、米東野球部で培った精神力を活かして一歩一歩地道に努力しています。
 まずは春季大会お疲れ様でした。準決勝の八頭戦では悔しい経験をしたかと思いますが、4強入りによって夏の大会のシード権も獲得し、甲子園への道もより現実的なものとして見えてきたのではないかと思います。今はとにかく夏へと気持ちを切り替えて、春季大会での反省点を活かし、夏につなげてもらいたいと思います。
 ところで、私たちの期は皆さんと同じく井畑監督のご指導を受けながら、共に甲子園出場を目標にして練習に励み、高校3年の春には選抜大会に出場することができました。当時の井畑監督の言葉に、「高校野球をするうえで、甲子園は目標であって、目的ではない。」というものがありました。では、高校野球の目的とは一体何なのかというと、それは皆さんがチーム一丸となり、貪欲に甲子園出場を目指してひたむきに努力した後、高校野球を終えたときに自ずと実感できるものだと思っています。ですので、今はとにかく井畑監督を信頼し、見えてきた甲子園への道をひたすらに突き進んで下さい。
 また、私は高校3年生の春までは控えのメンバーでした。そして、努力した結果、夏にはレギュラーとなることができました。チーム内でポジションを争い、共に切磋琢磨することによって、骨太で真に強いチームになると思います。ただ同時に、皆さんが共に認め合い、また、認められるに足る人間となろうとすることもとても大切です。私が同じポジションを争った仲間は、現在でも特別な存在となっています。
 井畑監督の下で野球ができることは、皆さんにとって非常に幸運なことだと思います。その幸運を活かし、皆さんがひとつの目標に向かってひたむきに努力し、熱い夏を迎えられることを心から祈っています。


2009/ 4/ 9 景山 敏久(104期=平20卒)
 慶應義塾大学に入学してから早くも1年の月日が経ちました。大学では、高校生の頃に味わうことのなかった厳しさや、自己の弱い部分を知っていながら直すことの出来ない自分自身の人間性の弱さなどを痛感することが多々あります。2009年はそんな自分を変えるべく、「克己」という二文字を掲げて日々練習に取り組んでいます。神宮の舞台に立つ自分の姿を心に描きながら練習をする毎日です。
 さて、春季大会が間近に迫り、夏季大会も残り三カ月余りとなって、皆さん練習に励んでいることと思います。今好調な選手もいれば、不調で苦しんでいる選手もいるでしょう。僕自身3年生の時はピッチングが不調で非常に苦しみました。それでも何とかしてチームの力になりたいと思い、ベンチを明るくするように努めたり、バッティングに力を入れてみたりと、チームのためになると思ったことをいろいろ試しました。僕が皆さんに伝えたいのは、好調な選手には好調な選手なりの、不調な選手には不調な選手なりのチームへの貢献の仕方があるということです。勝利のためにはそれぞれが良い成績を残すことが重要になりますが、スコアブックに残らないところにも勝利のための大事な要素があるのです。大事なのは個人の成績よりもチームの勝利です。試合に出ることができない選手も、ベースコーチャー、ベンチからの声掛け、守備位置の指示など、各々が自分の役割を見つけてチームに貢献してほしいと思います。
 僕は野球を始めて11年になります。僕の“人生というコップ”の中には野球がなみなみと注がれています。今年の夏、皆さんの「コップ」から高校野球があふれ出ることを心から願っています。 
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Author:米子東高校野球部OB会事務局
事務局を中心に更新します。公式ホームページとあわせてタイムリーな情報提供を心がけます。

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